夏に身内の研修会発表があって、そこで口頭発表することになったわたしです
発表デビューする場としてはとってもアットホームであるとのことで背中をどーんと押されました。部長はどんどん発表しろみたいなスタンスなんですが2年目で!?と普通に驚く
もちろん今3年目の人たちも2年目であった去年に発表している
病院勤めの大学時代の友人たちは発表したことあるってまだ聞いたことない
卒研時期と被ってたり、院に行った子ならいるけども
地方の病院ですからね、常に人手不足でしょうし、発表に時間割ける人たちなんていないんだと思う、本当なら!だから友人たちもそうそう機会がない(のではないかと思う)
発表準備は端から見ているだけでも大変なのわかる
発表の大筋を決めて演題を決める段階の今ですら気力を消費する。バイヤ〜!
できる機会をもらったからには頑張るがな…
ガンガン行こうぜ!!!!
5/12
今の生きる氏の時間の大半は仕事で、それがいい悪いは彼が決めることでありますし、彼が息災であればわたしはひとまずいいんですわ
だが最近、というか彼と一昨日話しててハッと気がついたことなんですがわたしには遠距離時代の後遺症みたいなものがあるんですね。後遺症?癖?みたいなものが
知らなかった!本当に昨日までそうであるかとはまったく考えもしなかった!
というのもですね、彼が私生活に時間が割けないってことは彼と付き合っているわたしだってよくわかっていることなんです
であるから、彼がわたしに割ける時間は一秒たりとも無駄にしたくないという思考に至るわけです
『息ぴがわたしのために仕事を早く終えて帰って来たのならば、その時間全部わたしにあてたいと思ってる。何せそうしないともったいない気がしている』
『うーん、もったいないなんて思わなくていいよ。おれ結構早く帰れる機会あるよ?』
『…!?』
このあたりで"こりゃ遠距離時代の癖だな!!?!"とうっすら気づくんだな!
なぜそうなるのだろうか?と考えるとすぐに浮かぶのが遠距離時代のこと
特に彼が今の仕事鬼モードになってからよ
なぜその当時のことが思い浮かぶのだろうか?
ーそりゃすぐに返事がこないからだし、連絡もマメにできなくなったからだろうなア〜って
生きる氏がわたしにあてられる時間は限られていて、当時はあいつ三ヶ月働いて休日2〜3日くらいしかなかったからな、帰りも遅いし、そんな中で朝起きてメールが来てたら毎朝にまにましてたもの。ありがたかったし、短いメールだって予備校の授業の合間に読み返したりしてましたもの
そんな経験から、彼のことであると少しのことにも噛みしめる癖がついてるというのかな
過大に喜ばしいことであると受け取る癖ができたっていう方が正しいかな
彼がわたしを思ってしてくれた行為は取りこぼさず全部に喜びたいみたいな気持ち
だからわたしが地元に帰ってきてすんなり会える今でも、彼からの連絡に飛び跳ねて喜ぶ(もちろん心の中でね)癖ができたわたしにとって会うこと自体が特別なことで、彼に時間があるなら可能な限り会っておきたいと思ってしまうのよね
で、もったいないに繋がるということである!!!
彼に心配される始末であった
『遠距離時代の後遺症ですね!』
『もったいなくないよ(´・_・`)』
『多分一緒に住むとかになればなくなるな』
『ほう』
彼には恐らく理解されない。会うことに関して感覚が違うっていうのはお互いわかってるし
でも癖ができるほどわたしは彼のことを考えて、自分のいいように解釈してきたんだと思う
ここに至るまでけんかもして自分に時間もまあまあかけたから、消せるまではまだ時間がかかりそうネ〜と思ってる
(消す必要あるのかとも思ったりする!)
まあ徐々にね、今の環境に順応していけたらと思ってるよ
5/8