やはりね

夜の散歩続いてるよ!!!!

いま3週間くらい!雨降ったりしてない限りは2キロくらいの散歩はしてる
歩くのはしんどそう…という日も家の中でYouTubeのなんちゃらエクササイズみたいなのを15分弱はするようにしてる


最近少しだけ体力がついてきたのか、今日は疲れたから20分くらいの散歩で切り上げよう…と思っても、なんかまだいけそうだな?と結局30分くらいは歩いてしまうんだね…
イイコト!!!

で、前のメモにもあるんですけど歩いてる途中の家を見るのがやっぱり好きだな〜と思いまして

家の外観を見るのがほんとに楽しい
3週間近くやってると歩くコースも似てくるし、目に映る家も何回か見たことある感じになってくるんですけど、それでもやっぱり飽きないなって
家だけじゃなくてマンションやアパートも好きだし、今はだれも住んでなさそうな古い家屋とかアパートを見るのも歴史を感じてドキドキする
営業しなくなってしばらく経過したであろうなんらかの事務所のような建物とか美容室も好き


家を見るときは“自分が住むなら”みたいな目線だし、後者ならとにかくこう、好奇心をくすぐられるというのかな、なんせ良いんだよな…(言葉が出てこない)


こういう好きが自分の中にあるっていうのは新しい発見で、散歩をしなければわからなかったことだろうなと思うとやり始めてみてよかったな〜に尽きますね
好きだから何かするということではないけど、楽しみながら歩けて嬉しいなという感情を残しておきたかったのでここに記す

9/19


あとあと、拍手ありがとう!
コメントも読んでます!嬉しいです!
キャッキャ!!

親=人間

ていうのに気づいたのは皆さんいつ頃ですか??

わたしは大学生になってからです


わたし母子家庭で、わたしが進学を機に実家を出た後、母も同じく一人(といぬ)暮らしになったんだけど、冬になると雪が降って、吹雪の後の雪かきを母が一人でこなさなくちゃいけなくてね、それをしんどそうにしてる母の姿を見た時に本当に初めて母も年をとるし、一人の女性で人間だったんだ…と思ったんですよね
わたしよりも力持ちで逞しいと思っていた絶対的な存在が、実はそうでもないことに気づいた時の衝撃といったら…


なんでこんなことを思い出したかと言うと
コンビニで買い物していた時に中学生くらいの男の子と母親と思われる女性がいて、買い物カゴを女性が持っていて、カゴの中には既にお弁当や飲み物類がどっさり入っている中、次々にカゴの中へ食べ物などを入れている男の子の姿を見た時にふとそう思ったわけです

母親が彼の中ではまだ絶対的な存在なんだな、としみじみ感じてしまったというか

生きるにも聞いてみたら、今の年齢なら自分が率先してカゴは持つだろうけど、中学生の頃ならまだ持つという認識はできなかったかも、と言っていたし
わたしも上記の通り大学生になってようやく気づいたくらいだから同じく母にカゴは任せてただろうしなあ〜!

と、思って!!!

守られてることを無意識に受け入れているうちは気がつかないことなんだろうな
家庭環境にもよるかと思いますが

こういった気づきも一種の加齢現象なんだと思えば『ア〜〜〜!』という一言に尽きますね

親孝行します
まだまだ元気でいてね…という話でした

8/15

レス不要のコメントありがとうございます!
やった〜!!

異なる話

わたしと生きるは風邪の捉え方が違くて

わたしはクリニックや診療所にかかったところで治るわけでもないのに…と思って足が向かない方です
自分が医療者で、治っていく過程が知識としてあるからというのも少しあるかもしれない

で、生きるはと言うと症状がつらければ診療所なりにすぐ行って薬をもらってさっさと治したいと思うタイプ
それと職業柄ですね!

もうこれだけで考え方が違うわけだけど(笑)
自らの体調と相談して、職場での立場なんかも含めて医療機関を受診する・しない選択するのはお互いに影響のないことだし(もちろんパートナーとして心配はするが)、結論としてどちらでもいいことだなとわたしは考えてて。多分生きるもそうだと思うのね

だけど、ふと、これが2人の子どものことなら?と思ったら、そうも言ってられないな…てことに気づいたわけ
まだまだ先の話だけど、でもここまで意見が違う2人だから、今のままいざその時になったら揉めそうだなと思って。唐突に(笑)

生きるにもそのこと伝えてみたんだよ

そうするとすっごく納得してて、『確かにおれ自分の子どもが37.1℃でも心配しちゃうし病院連れていきたくなると思う…』って言ってて、これは今のうちに話し合っておいても良さそうだなと!

わたしは冒頭で自分が医療者で知識が多少あるとは述べましたが、自分の知識が必ず正しいと思っているわけではないし、診断する立場でもないし、おごってはいけないし謙虚さは持っていなきゃいけないっていうのは自戒としてあるつもりで
だからといって生きるほどの心配が必要かと言うと過剰な気もするし、病院にかかって逆に風邪をもらったりするリスクを高めるのもなと思ったりもするし
でも生きるが心配する気持ちを丸っと無視したくないし、とにかく2人で決めたいなという気持ちです

2人でいろいろ考えて結論出せたらな〜と思っている次第です
この手の話ってまだまだ出てきそうだし夫婦には終わりがないなと思うね

おわり!

6/6

手放さないでね

前もこんな話をしたかもしれないのですが、昔通いつめたサイト(※もう何年も更新されていない)に思い出したようにふらっとアクセスする時があって
そこで見る作品やブログに胸がぎゅうっと締め付けられるんだよね。お肌が潤うとも言うんだけど(?)


高校生とか大学生の頃に出会った人たちの今はもうわからないけど、残してくれたコンテンツに救われてる
いわゆるそこでしか得られない栄養素があるってやつで…

何年も(下手したら10年単位とか)前に見た作品たちを、今のわたしが見ることに意味があると言うか

感じ方が変わるなと実感するっつーかね…
当時何も感じなかったこと、素通りできていたことがそうではなくなる経験みたいな、そういうのを目の当たりにすると我ながら人生だな〜〜〜〜と思ってしまうし
わたしがそこで感じてた当時の『好き』は確かにあったという感覚もたまらないんだよな〜〜〜〜


当人にしてみれば忘れてただ放置しているだけだろうけど、わたしのような者もいるからこれからも残ってると嬉しいなーーーーーーーと願わずにいられないよ

諸行無常というからな
出会って別れていく時間の尊さと儚さを知ってしまったらなかなか手放せなくなるんだね
それでもいつかは消えるけど
残ってるうちは思い出と一緒に大事にしていきたいなって


前も同じようなこと言ってると思うんですけど、懐かしさが爆発してるのでまたおんなじこといつか言うね…

4/29

思い出補正

ごきげんよう


わたしの地元はせまい田舎なのですが、曽祖母が亡くなった時に地元のお菓子屋さんで仏壇にお供えする和菓子や洋菓子を購入したんですけどね
当時のわたしがそこのマドレーヌを爆烈に気に入ってしまってだな、そのお菓子屋さんはご夫婦でお店を営んでいらっしゃるのですが、いまだにそのことを覚えているらしくてウルウルしちゃった


ひいばあちゃんが亡くなったのなんて20年は優に超えるがね

先日、実家へ帰ったら仏壇のお供え用のお菓子に見覚えのあるマドレーヌがあって、母に聞いたらやっぱりそのお菓子屋さんで購入したらしく、『指定したわけじゃないけどたくさん入れてくれてたわ〜』と母が言うのでとてもありがたい気持ちになったわね…


こういうのって地域柄というか、そこでの県民性(わたしは北海道民ですけど)があるからピンとこない人は来ないのかもしれませんけど、狭い地域ならではのご贔屓感というか、ね、そういうのあるよね


なかなかそのお菓子屋さんには機会がないと行かないですが、実家からお裾分けされたマドレーヌは大事に食べてる…
賞味期限が近づいているので早めに食べないといけないけど大事に食べてる…

そんなありがたいと思った話でした


お久しぶりになりましたけどわたしも生きるも元気です
新年度もよろしくね〜

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