見てもらった話と、
ヒーリングに行くって話2つ。
1
きのう、初見のネット配信者で(この人は色々見えてるんだな、すごいな)と思う方に出会って、タロットカードで見てもらった。
彼と同じ仕事はできなくても、何か仕事に関わることができたら一緒にいられる時間が増える。だから何か可能性はあるか?という内容。
正直今の自分が彼のために何かできるとは思っていなくて、まずは「自分が仕事しろ」っていう話になるとか、「無理だよ」と言われるんだろうと思いながら質問した。
(そんな寂しい予想もどうなのって話だけど)
結果を待っているとまったり低めのトーンで話されるその方が
「もささ〜ん、あなた、すごいよー。」と明るい声で話し始めた。
結果は
「彼は多くを望んでいない。
あなたがそばにいるだけでいい。
“あれしてほしい、これしてほしい”とか、
“こうあってほしい”とかではない。
自分のそばにいてくれたら何も望まないよ、とカードが言ってる。」
それだけで涙が出てきた。
自分は邪険にされていてもおかしくない立場の人間だから。
「あなたの存在がすべて。
充分支えになっているから、彼は感謝しているのが見えるよ。いや、本当彼からの愛情がすごい伝わってくるね」
もうここで見てくれた人の声のトーンと
彼の愛情の深さみたいなものや
「忙しくてごめんね。でも一緒にいたい」
「ごはん食べたい」
「こんなにドキドキする人といられて嬉しい」
「今でも会うと緊張する」
そう言ってくれることとか
色々走馬灯のように思い出されて
完全に涙腺崩壊(ToT)w
「lovers、恋人たちと
ジャッジメント(審判)
この二つって一緒に出そうと思っても出ないし
出てほしくても簡単には出てこないの。
恋愛でこの二つは最強のカードなんだよ」
って。
ほぉ〜…そうなのか。
「できるとすればスケジュール管理とかがいいんじゃないかな。
そうでなくてもちょっとしたことでいい。
仕事に使う物がくたびれてきたときにちょっと手直しするとか、お弁当持たせるとか、差し入れとかね。」
「私まで泣けてきた〜
このこの!羨ましいぞ!
って感じ。笑
これを聴いている人たちにも、
ぜひ幸せをみんなに分けてね」
って、なんだかほっこりした雰囲気になった。
その場には、たしかに
嬉しい気持ちと同時に、幸せな人が増えますようにと願える不思議なあたたかさみたいなものがあった。
彼本人が言っているわけじゃないんだし、って思うかもしれないけど、それでもこれだけのカードが出るというのにはそれなりの意味があるのだと思う。
ちょっとしたことでも彼のためになるのならやってみればいいんだと思った。
いつも調子に乗ると自信過剰になりやすくて、ひょんな事でショック受けるのが怖くていつも自信がないのだけど
こんなに嬉しいことはないなって。
2
人生が変わるかもしれない日。
前に書いたかもわからないけど、
2〜3週間前にリーディングをしてもらった。
その方はスピリチュアル的な力が強いのか、
私が思っていること、他の人には教えていない、自分でも言語化しにくいけど感じていることを細かい表現までまるで一緒、とても的確に「こう思っているようですが〜〜」と言っていた。
分かっているのが当たり前状態。
その方にヒーリングしてもらったら本当に人の感情や言葉のトゲに影響を受けにくくなって生きやすくなった。
過ごしやすくなった。
いつもなら見るもの聞くもの感じ取るものすべてに「これは私の人生」のように感じられて、ちょっとしたドラマのワンシーンのセリフ一つとっても、周りの人の言葉ですら「つらい、苦しい、悲しい、嬉しい、楽しい」と感情が揺さぶられてしんどかった。
なのに、リーディングとヒーリングしてもらってからはサーっと引いて、映画やドラマをただの創作物として見れるようになってきた。
私が苦しんでいる感覚過敏も「脳の誤作動だから、それをリセットすれば今の過敏さの3分の2は減ると思いますよ」と。
そのヒーリングは直接じゃないとダメらしいので、それを受けに行くっていう。
私はすごい方にタロットカードを教えていただいていたようで、その方が「こうなるよ」と言ったことは大抵のことが現実になるらしい。
(その辺の話はほとんど聞いていないので詳しいことはよく知らない))
そして、ヒーリングしてもらうのも、その方からの紹介だった。
ちょっと値段はするけど、
依存させて何度も何度も依頼させるという悪質なものではなさそうで、回数もこれきりな感じなのでちょっと安心している。
(こういう系統の依頼をしたことがなあので警戒しがち)
コントロールできなかったことが、ヒーリング後はそれに影響を受けない、
その効果が出ているからやってもらう価値はあるのかなって。
こういう世界はナンジャ??
っていうタイプだったけれど、
人生何があるかわからない。
これで外へ出られるようになるかもしれない。ひきこもりじゃなくなるかもしれない。
「25歳で人生がガラッと変わる」と23歳のときに自分の中におりてきたことが現実になるかもしれない。
当たり前のようにカフェにいったり、ごはん食べに行ったりしやすくなるかもしれない。
行きたい場所に自分の足で行って
見たい景色を自分の目で見られるようになるかもしれない。
彼と一緒にやりたいことができるかもしれない。仕事にはできなくても、またできるようになるかもしれない。趣味の共有ができるようになるかもしれない。
今すぐじゃなくても、一緒にいられる時間が月1じゃなくて、もう少し増やせるようになるかもしれない。
いや、ちょっと望みすぎかな???
それでも変わるかもしれないっていう期待と不安が入り混じるとはこのことかな。
さて、準備して寝よう。