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母が座るタイプのこたつを買った。
配達は30日の午前中。
私はこたつに縁がない。
忘れもしない五年前、2006年の11月7日。
休みだった私は洗濯した後に遊びに行こうと思い、出掛け準備をしていたら、母の友人が訪ねてきた。
それから五分も経たないうちに「じゃぁ、遊びに行くから。」、はぁっ?
てか、今日こたつが配達に来る日じゃん?と言ったら「お金置いていくから心配しないで。」とビニール袋に入った代金を渡す、そういう問題じゃないと怒りだす間に母は友人とそのお孫さんと家の敷地から出て行ってしまった。
そこからが自分史上最大という怒りに全身が熱くなった。
線目のたれ目だが、自分でも開眼してつり上がってるのが分かる、こめかみは常に痙攣しているし、奥歯を噛み締めているせいで顎がゴリゴリ言っている。
代金置いていくのはいいが、何時に来るか不明。
自分だって通勤用のバス券買いに行ったりライブが近いから髪を染めておきたかった、ライブ直前の休みは矯正だから二週間は空けなければならくて、そのせいもあって母の自由奔放な性格と行動力に今回ばかりは怒っていた。
午後の日の傾き掛けた頃に配送屋さんが来て、「道狭くて車入ってこれないですね。台車も使えないし。」と嫌味を言われながらこたつ本体とこたつ布団を二回運んでもらったがお茶代を出す気にならずに、釣り無しでこたつ代を支払った。
そして。
そして、ここから本番、何の?
こたつ設営です。
片付けが出来ない母は他人に片付けられると他人の基準で片付けるから場所の見当がつかないから、片付けられるのを嫌うので居間が、まぁ、お察しの通りだ。
日が暮れる前にと兎に角掃除をして床を見えるようにして、こたつがおけるスペースを確保し、なんとか設営に漕ぎ着けた。
今日はもうどこにも行けない、寒いし、こたつ一番乗りじゃい!!とこたつの試運転もかねてこたつでふて寝していました。
しかし、いくらあったまれども、全く体が温まれない。
でもこたつはついてる、しかも最強、なんだろう?と思ってとりあえず熱でも測ると測ったら、39℃越えてました。
人間、不思議なもので熱があると分かった途端に一気に体がだるくなるし、頭も割れるように痛くなるもんですね?しかもいきなりお客様もお出でにダブルパンチですよ。
こたつから出て、布団に入っても超寒い、一時間経ったら熱が下がるどころか上がっとる?!
この時ばかりは覚悟しました。
死んだらどうしよう?てにぷりとミュDVD、母はテニスが嫌いなんだよなぁ…誰に遺品整理頼もうか、まだ絶愛もあるし(動じんも)、超やべぇよ?なんて考えたり、当然翌日も熱が下がらないどころか起き上がれなくて休みました。
その次の日も、でも三日目は公休なので堂々と休める。
でも四日目も休んで、悩んだ。
元凶のこたつに入りながら、悩む。
もし今後事故とかで突然死んだりしたら、悔いはないのか?何かやり残したことはないか?
夏と冬の祭典、聖地巡礼は今の職種柄それは無理だから諦めるとして、みゅ、これもルドはチケ取れなかったし、卒業は年末年始だから無理だった、これは時期もあるから、それにDVDもあるし。
あ、でも。 どうしてもやりたいことがある。
二年くらい悩んでいたこと。
やるなら今しかないかも!!
で熱に浮かれてとり憑かれたように書いたのがいつかシリーズ、どうしても乾海サイトをやりたかった。
もう本も作ることもないから、せめてサイトでって、まさかこたつで知恵熱で生命の危機で動じん?みたいな、嘘のような本当の話。
そんな訳でこたつにとことん縁がない私にまた新しいやくび、ゲフゲフ、引きこもり養成器具がまたやってくるんですね。
次は台所のダイニングテーブルを撤去してですか?ダイニングテーブルにテレビ乗ってるんですよね、ふふ。
我が家が片付けない最大の原因は母の片付けられない性格ではなく、異常に物が多いことです。
20年も前に亡くなった祖母の荷物が一部屋占領してる時点でお分かりですね。
ちなみに私の部屋の半分は母のタンスです。
今日地球が滅亡するんじゃなかったのかよ(笑)