前に進まなければならない。前に進むことが必ずしも良いことなの?どうして前に進まなければならないの?そう問われると困ってしまうけれど、たぶん立ち止まる時は死ぬ時だと思う。立ち止まったらもう歩きたくないし息もしたくない。うっかり死なない為には歩き続けねばならないし、後ろに歩き出してしまったらもう戻れない。死ぬ訳にはいかない。少なくとも親より先には死ねない。数少ない大事な人達を悲しませたくない。歩き出すのも立ち止まるのもその善し悪しを決めるのも個人の自由。自由って打ったら自由が丘って予測変換で真っ先に出てきて間違えて押してしまってわらった。個人の自由が丘ってなんやねん

8月になると今までの人生で最高に幸せだったときを思い出してしまうし、その分惨めな気持ちにもなってしまう

あーやだやだ、誕生日のこととか記念日とか初デートとかそれ以前のこととか色々思い出しちまう。ただでさえ薄着半袖になり自傷の痕が視界に映るたび( ´'e'` )みたいな顔になっちまうのに。どうして私はもうその中には欠片も存在しないのかな?と我ながら腹立たしい考えがぐるぐる回る。日々の生活に女子という名の潤いが非常に少ないのもあるのだろう。おっさん達に囲まれて家事してればそりゃ枯れるわ。わすれたい。ひとかけらも残さず消してしまいたい。好きってなによ?本当に好きなら相手の為にも自分の為にもキレイさっぱり忘れちまいなさいね

Twitterでは完全に相手の情報が一切視界に入らないようにしていて、初めは慣れなくてついつい設定をもどして追ってしまったりもしたが、今は全く見ていない。くだらないし気持ち悪い話だが、わたしより少し早い相手の誕生日に「おめでとう」とTwitterで言ったら恐らくわたしのだけふぁぼで済まされてしまい、わたしの誕生日はもう今年からは言葉も掛けてはもらえないのだろうなと予想はしていたが案の定で、人の誕生日を殆ど覚えない人だったのでわたしのもとっくに忘れちまったのだろう、とやるせなくなった。万人に祝われるより数少ない大好きな人達がおめでとうと言葉をくれるだけで最高に幸せだ。でもその中に彼女を含めることはもう叶わないのだなと痛感。自分が大切に思うように、相手も同じように思っているだなんて奇跡なくらい低い確率なのではないでしょうか。まあそれがTwitterで完全に視界からシャットアウトする切っ掛けになってくれたのだけど

他の人を見ようとしても、何処かで比べてしまうのがとても申し訳ない。どう考えても比べりゃ他の人の方がマシなお付き合いを出来るだろうに、それを呑み込めない程度にはモヤモヤが残り続けている。何もかも比べてしまう。何もかも違うのだと思い知った。何もかもわたしの負けだ。比べることさえおこがましい。ちゃんと分かってるじゃないの

大切な人達が祝ってくれて幸せを感じるわたしと、わたし含めわたしがただこの世に生まれただけの日なぞ事実ごと消し去っちまいてえな誰一人記憶に留めないでおくれとド失礼なことを悶々と考えるわたし。その人の言葉はその人にしか紡げないものね

最高に幸せだった瞬間、「今死ねたらいいのに」と本気で思ったけれど今でも思っちまうね。「アーーー!いま死ねたら天国さえも突き抜けて上へ上へと昇っていくよーーー!」みたいな


なんて、元記念日がもうすぐだとふっと気づいてなんとはなしにダラダラ書いちまった

こちらの記事にはコメントを戴いてもお返し出来ませんのですみません


切り替え。明日はお気に入りの子に会いに、もとい知り合いの劇団の稽古場お邪魔してくる〜