なんだろう

繰り返し嫌なニュースばかり。怒りの感情をそのままぶつけてしまう人は、抑える力を身につけるしかない。その時むかついても、思い通りにいかなくても。二度と帰ってこない命なんだから。

こわい

また最近怖いニュースばかり。やっぱり人の性格は目つきに現れるんだなあと思った。第一印象で目つきのわる人がいた。この人ないなあと思った。近くにお年寄りがそばに寄ってきたとき、物凄い目つきだった。自分としては、お年寄りや子供には優しい人の方がいい。弱い人に優しい人間でありたいし、そんな人がいい。お年寄りや子供には優しくありたい。死ぬときはいい人だったと言われたい。悪人にはなりたくない。人を殺めてしまう人間は、自分の感情に負けて理性が吹っ飛んだんだと思う。どんなに憎い人間だって、どんなに思い通りにいかない人間だって、どんなにひどいことをされた人間だって、どんなにひどい言葉を浴びせられたって、どんなに嫌がらせされたって、どんなにむかつくくらい嫌なことをされたって、どんなに相手が振り向かなくたって、憎い、恨むの感情をずっと持っていたら、苦しむのは自分。結局最後は相手を許すことで自分が楽になれるんじゃないかと。ずっと相手を恨んでいる時間、、、、振り向かない相手を思っている時間、、、もったいない。ずっと相手を恨んでいたら、人相は変わり、疫病神はついて、自分の人生がおかしい方向にむかうだろう。私もそうだった。母親や父親からは酷い言葉を浴びせられたり、きちがいにも暴言をはかれたり。親は我慢できるとして、キチガイだけは我慢てきなかった。でも、相手と口をきかないこと、かかわらないことで距離をとり、過ごしている。やっぱりむかつくやつはむかむく。

病院

嫌な人がいない1日は早くすぎるもんたなあ。 病院いったら四千円だってさ。コロナじゃなかった。インフルでも。だからといって安心できない。

時間を味わう

今の自分には食べ物をゆっくり味わう時間と余裕すらない。時間がない。酎ハイを飲んで、やきとり、枝豆、チーズ、唐揚げ、ポテト、カニみそ、最高じゃないか。ゆっくり、誰にも邪魔されずに時間を味わいたい。味わうとゆうのは、実際に味覚を楽しむこと=時間を味わうという表現。

保健室

体調が悪く保健室のベッドで横になっていた頃を思い出した。みんなは長い授業を受けている時に、自分は保健室のベッドで横になっている。幸せな時間だった。具合悪くても。嫌な時間をすり抜けて、本気で眠ることは出来なかったけど、この先自分の人生がどうなっていくのか想像したりしたけれど、結局親が引いたレールの上を歩いただけだった。
人と違うことをしている自分。平日の朝に駅前のベンチに座り、周りが通勤や通学で忙しく歩いてる時、自分だけがゆったりとした時間をすごしていることに優越感を感じた社会人の春。会社を休んで、周りが忙しくしている朝にコンビニに寄ってアイスコーヒーを飲んでいる自分。そうゆうとき、時間を味わってゆうのかな?よくわからないけど。
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