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ひよかのお部屋 chapter5

 黒黒黒。クロシマ。黒島。

 燃えるような痛みが走る。走り抜けた身体は黒く焼け爛れる。
 違う焼け爛れているのは身体の中。真っ黒に爛れた心。
 傷付けることは大得意。大得意。
 菜々花がひよかを信頼していて、いつだって自慢の妹だと周りに語っていること。それを知っていた。
 菜々花の信頼を裏切ってやりたかった。

 菜々花がひよかに優しくするのと同じように、ひよかも菜々花に優しくする。
 同じように? そうだ、同じ“ように”。
 菜々花は笑顔で苦痛を壊す。そんなことができる。ひよかは笑顔で笑顔を壊す。そんなことができる。
 もがき苦しむひよかを菜々花はいつも救ってくれた。
 笑っていられる菜々花をひよかは破壊する。破壊することにした。
 ひよかは菜々花の成功を一つ一つ丁寧に、優しく潰していく。

 ――無理しなくていいんだよ。

 そう言って笑う。菜々花が無理などしてないことはわかっている。
 成功に難癖をつけることなんて誰にでもできるとひよかは思った。自分の姉だから、そんなもので凹まないことだってわかっている。
 だから、その成功が、成功自体を間違いだとして、気遣うふりをしながら、破壊する。少しずつ、チリチリ燃やすように、どろどろ溶けるように。
 ――ノートなんか貸したら頼られて毎回勉強出来なくなるよ。
 ――そんなに先生に褒められたらクラスから妬まれちゃう!
 ――そんなに可愛くしたらさ、……襲われるよ。

 それで。
 誰がどう見ても、西浜と菜々花は似合っていたし、仲も良かった。
 ――倦怠期ってあるじゃん。
 ひよかが言った。
 ――あぁ。私たちは大丈夫だよ。もうずっと長いから、倦怠期なんてもう過ぎちゃったんじゃないの?
 ――無理、しなくていいんだよ。
 ひよかは寂しそうに笑って、そして姉の背中に手を回した。
 ――お姉ちゃん、最近ずっと西浜くんのことばっかり。疲れてるよ。
 ――そう……かな。
 ――このままじゃいつか来ちゃうよ、ケンタイキ。たまには、距離置いた方がいいよ。
 ふつふつ込み上げてくる笑みを、ひよかは、姉への“優しさ”を言い訳にする。表情の理由はすり替わった。
 このとき、感じた心臓の痛みと異常な脈拍は、身体の中の血がすべて真っ黒に煮たっているからだと、ひよかは確信した。それが楽しいくらいに感じた。

 他の誰から認めてもらえても、大好きな妹からだけは絶対に認めてくれない。どんな彼女の善行も、優しさも、強さも、正しさも、成功も、ひよかは不安へとすり替えることができた。
 ひよかだけは自分をわかってくれている。だから、一番正しいのがひよか。菜々花が自分をそれ程までに信頼していることを、ひよかは知っている。
 だから、菜々花が少しずつ衰弱していく原因は、他の誰でもなく自分であるとわかっていた。菜々花は、自分が無理していると思い込んだ。誰も信じることができなくなった。西浜を好きなのかわからなくなっていった。
 そして、菜々花は西浜を手放す。
 はずだった。

 それなのに、やっぱり菜々花は西浜と。
 菜々花は泣きながら西浜に問う。自分の行いや成功が間違っていたのか。西浜が首を横に振ることで、辛うじて菜々花は生き長らえている。
 そうじゃないそうじゃないのに。もっと黒く。もっともっと黒くならなければ。あいつを。
 ひよかの黒い血は少しずつ身体を蝕んで、溢れ出していく。熱すぎて焼け爛れていく。

「クロシマくん!」
 思わずひよかは声に出した。講義室の喧騒の中、甲高く響いたその声が、一瞬だけ静寂をもたらした。
「……は、はい?」
 一人の男が不思議そうに返事をした。隣の女も怪訝そうに眉をしかめる。
 こいつが、クロシマ。もはやひよかにも、どうして呼んだのかわからなかった。
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