キリンが怖い、と小里さんがいう。
東南アジアの某国で目が無いキリンの群れと、手足が異様に長く、目の無い人間の一団を見た。なぜだが、キリンは目が無い人間の幼体である気がした。
宿泊するホテルを探していた際、警察に声をかけたところ、無愛想に指を指される。
警察に従ってレンタカーを発進させようとしたところ、追って署を出てきた警察が、迂回するように遠くを指差す。不思議に思いながら車を回していると、反対方向から目が無い人間の一団が現れ、周囲の人間を食い散らかしていた。警察すらもその姿に変わっている。
慌て、アクセルに足をかけたところ、聞き慣れない牛のような声。
後部座席にキリンの赤子。目が無い。
慌て車から下ろして発進した。
以来、海外旅行と動物園には行きたがらない。
かか、く、けらくか?かく、か?か。く、か、か。かか?
「日本で言うところの妖怪みたいなもんだ」
流暢な日本語で、アードラースヘルムさんは言った。口回りに豊かな髭を生やすのは、同姓愛者でないことのアピールらしい。
彼が何故日本にいて、クリスマスに鐘子と会っているのかは、彼自身が明かさないため、わからない。
「恐ろしい形相で、悪い子をさらってくんだったな」
「なまはげみたいなものでしょうか」
「そうそう。おそらく、日本でも同じような言い伝えから変化していったものだろう。ドイツ国内でも、クランプスやルプレヒトなんて似たような存在がいる」
鐘子は、遠い国の、見たこともない妖怪たちへ思いを馳せた。
元々、集まってくる不思議な話を好んで聞いてるくらいだから、興味は強い。
「あとは、グリンチ」
「グリンチ?」
鐘子は目を丸くした。
アードラースヘルムさんは、しまったという顔をする。
「これはアニメのキャラクターだったな」
「……適当に話してたんですか?」
鏡に向かっていた鐘子が振り向くと、そこにアードラースヘルムさんの姿はなかった。
三枚の福沢諭吉、一枚ドイツ語のメモを残して。
Du solltest dich erinnern.
Perchten kommt zu dem bösen Jungen.
後に。
鐘子は翻訳サイトと大学時代の友人の手を借りて、必死に翻訳した。
「呉橋がいなくなった」
店長ががっくりと項垂れて言ったその名前。鐘子は、知らないはずだったのに、それがフェルの本名なのだとすぐにわかった。
「出勤、増やせますよ?」
鐘子が言うと、店長は首を振った。
そうなるだろうとわかってはいた。
フェルを求める客と、鐘子に話をしにくる客の層が全く違う。
鐘子は、なんとなく。
フェルはもうどこにもいない気がしていた。
もし本当に彼女が、生まれる瞬間がわかるんなら。
彼女自身に宿るものも見えるだろう。