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鐘子が見たこと、聞いたこと。説明がつかないことが、確かにある。
鐘子は昔からすりガラスが嫌いだ。
振り返ると、姉の親友――詩春さんが足を止めていたので、鐘子は慌て引き返した。
「どうしたの?」
俯いていた詩春さんは、顔を上げずにほうとため息をつく。
「かわいそうにね、こんなとこで」
彼女は所謂「見える人」である。見えているのかいないのか、自分でも曖昧な鐘子と違い、詩春さんはごくごく当たり前に「それら」と生活している。
だから、言葉だけでなんとなく察しはついた。
「何が見えるの?」
えっ? と、詩春さんはきょとんとした表情で顔を上げた。そしてもう一度視線を道端に落とす。
「……じゃあ、これも無いもの≠ネんだ」
彼女は寂しげに笑った。
「お花がね、供えてあるの」
形だけ残ってることけっこうあるんだよ、と続けたらしい。
四度目の引っ越し先の相談に、いつもの不動産屋を訪ねたときのこと。すっかり顔馴染みになっていた担当の永野さんが、以前鐘子の出身地を訪れたことがあるという話を聞いた。
時々、無性に独り歩きをしたくなるタチの永野さんは、普段降りる人なんか一人もいないような無人駅で降りてしまうことがある。
この時もちょうど同じような感じで、目的の駅まであと二駅もあったのに、全然関係のないある駅で降りてしまった。後ろは山、前は海。この駅で他に降りる人はいないようだ。永野さんが降りるときも乗客達が一斉に彼のほうを奇異な目で見たので、なんだか胸クソ悪かったくらいだという。
無人改札を出ると、目の前に山があり、道が左右に分かれていた。降りる人がいないわけである。どちらに進んでも行き止まりだ。少し険しい横道を通れば国道に出られるようだが、わざわざそんなルートを辿るよりはこの駅の前後で降りたほうが早いだろう。
永野さんはとりあえず右の道へ進んでみた。山沿いに家が二軒離れて建っているが、どちらも空き家のようである。一軒はまだ小綺麗にも見えたので、あるいは住人がいたのかもしれないが、もう一件は半壊しており、人の気配は全くない。この家にたどり着くまで随分荒れた山道を通ってきたが、こんなところにどういう気持ちで住んでいたのだろう。それより先は行き止まりで、ただの林があるだけだったので一旦駅の前まで引き返した。
次に、彼が反対側の道を進むと、いくらか整備されており(と言ってもぼろぼろのアスファルトが敷かれていただけのことだが)、いくらか生活感のある家が一軒だけ建っていた。こんな辺鄙なところでどうやって生活しているのだろう。
しかし道を辿っていくと、やはり結局は山に入っていくだけで何も無さそうだった。それでもとりあえず道が続く限りは行ってみようと思った彼がギリギリまで進むと、突如切り立った崖になり、それ以上は進めそうもなかった。
諦めて帰ろうと踵を返すと、道から逸れた所の林の中に誰かいるのが分かった。遠かったし、後ろ姿だったため、何をしているのか分かりようがなかったが、何もせずに突っ立っているだけのように思えた。その人はしばらくするとゆっくりと奥の方へ歩いていってしまったという。
とりあえずその人が立っていた場所あたりまで行ってみる。立っていたと思われるところの一メートル四方くらいが、耕されているようだ。地面の色が周りと違う。
山の中だし、こんな狭い範囲を耕す意味も分からなかったが、このへんに住んでいる人なりの農業の工夫なんだろうと思ってその場を後にした。
*
「本当に人がいたんですか?」
鐘子の言葉に永野さんがキョトンとしたのが分かった。
「あそこ、今誰も住んでないんですよ」
「誰も?」
あの駅周辺で起こった水害の話、住民は土砂崩れにあって全員亡くなっていること、それらについては触れなかった。
「きみが住んでた頃の話だろ? また誰か越してきたのかもしれないじゃん」
そう言いながら彼は鍵の受け渡しの日程等が書かれた資料をコピーしに立ち上がろうとした。
「越してきても、また出ていっちゃうんですよ。なぜか異様にカビが繁殖するんだそうです」
なんでもかんでもすぐ湿っちゃうらしくて、と言い掛けて言葉を続けられなかった。
地面の色が違ったのは、耕されていたからではなくて、濡れていたからだったのだろう。
深夜二時を回る頃には客も途絶えてくる。レジに二人も立っている必要などなさそうだ。それどころか控え室でも山崎さんが一人伝票を整理している。隣に立っているのが店長であることを思い出し、あくびを噛み殺した。
「呪いってのは、鐘子ちゃんわかるのかな?」
思わず横に立っている人物を確認する。返事をすることさえ忘れていた。疑問文であったにも関わらず、店長が鐘子に回答を求めているようには見えない。ぼーっと前を見据えたままである。
「口へんに、兄の?」
「それ」
自分で話をふったくせに、彼は興味なさげに一つ大きなあくびをした。黙ったまま二人立っていることが気まずかったから切り出したのであろうが、そんな妙な話に自分が食い付くと思ったのだろうか。そうだとすれば心外だな、と鐘子は思う。
「呪いやってんだ、俺」
再び鐘子は隣の人物が店長なのかを確認するハメとなった。今度は視認しても自分の目を信用できなかった。
「どうやって?」
初め、鐘子自身これが酷くずれた質問であるように思えた。しかし、「なぜ?」や「誰を?」を尋ねるのは余りにも怖すぎて、結局はこれがベストな質問だったのではないかと分かった。
「まぁ、ポピュラーなヤツだよな。クギ打ち込むだけ」
唇が乾くのを感じた。鐘子が何も返さないでいると、店長は、またやる気なさそうに虚空を見つめ出した。
「ワラ人形の、ですか?」
質問せずにはいられなかった。この状態では、あまりに抽象的で、結末が宙ぶらりんになっている。想像はあらぬ方向へと掻き立てられる。
「それ。それだけど、ワラ人形作んのめんどかったからティッシュでやった。てるてる坊主みたいなやつでさ」
鐘子が興味を持ったと思ったのか、店長はとうとうと語り出した。
丑三つ時ということだけは守ったらしいが、神社まで出掛けることも、白装束を揃えることもせず、ただ部屋の中で一心不乱にクギ(これもおそらく五寸釘ではないだろう)を「てるてる坊主」に打ち付けたのだという。
「形なんかどうでもいいんだよ」
そういって彼は鼻を鳴らす。鐘子もそこで相槌を打つのをやめた。
しばしの静寂。もう我慢ができなかった。
「どうなったんですか?」
相手の人、とは付け加えなかった。店長は口元に軽い笑みを浮かべた。
「別に死ななかったよ」
ようやく鐘子は胸を撫で下ろすことができた。誰にでも負の感情を抱いて、相手を呪いたくなることくらいある。店長もその相手によほど酷いことをされたのだろう。そう、自分を納得させる。
これでもうこの話題は終わりになるはずだった。
「坂脇って、いたろ?」
聞きたくなかった。耳を塞いで叫び出してしまいたい。坂脇さんが店長に突っ掛かる人だったことを知っているから。
「死にはしないけど、嘔吐下痢症みたいになるらしいな」
アレはアレで大変だったろうな、と店長は笑いを噛み殺した。
後ろの控え室から呻き声のようなものが聞こえ、鐘子は思わず悲鳴を上げた。
「あはは、大丈夫。山崎の声だろ」
分かっていた。
「うぇ、おうぇ……」
山崎さんは、えづいている。何の話かは知らないが、昨日彼は店長ともめていた。店長は、口を押さえながらトイレへ駆け込む山崎さんをニコニコしなから見つめている。
「王子サマ願望、みたいな?」
年 齢 | 35 |
誕生日 | 5月26日 |
地 域 | 東京都 |
職 業 | 公務員 |